本願寺横浜別院は、京都の東本願寺を本山と仰ぐ、真宗大谷派の別院であります。 その起源は、横浜が開港してまもない1866年(慶応2年)年8月、東本願寺第二十一代厳如上人が、当時の武蔵国久良岐郡横浜村に開山聖人を偲んで二十八日講を組織し、聞法の機会をつくられたことに始まるもので、現在まで約150年の歴史があります。 本来別院とは、地方における教化の中心道場であります。この果てしなく混迷する現代社会の只中にあって、宗祖親鸞聖人のお示しくだされた御教えを、ひとりでも多くの人に伝えていく使命を果たして参りたいと願っております。

1. 【別院のはじまり】

日米修好通商条約(一八五八年)が締結されたことによって、神奈川県(横浜)が開港された。この条約は同時に外交人の信教の自由等が規定されており、その影響を受けてか、一八六六年(慶応二年)八月、東本願寺二十一代厳如上人は、当時の武蔵の国武蔵国久良岐郡横浜村(現在の横浜市中区の関内付近)に本山二十八日講を組織し、横浜の地に聞法の拠点を創設した。

厳如上人

2. 【明治から昭和にかけて】

この二十八日講をもとにして、1872年(明治5年)横浜市中区太田町六丁目(現在地の名称)に、浅草別院横浜出張所が建設されることになった。出張所は1883年(明治16年)年に花咲町に移転し、ここに堂宇を建立して出張所から浅草別院の支院に改称することとなる。堂宇自体は1899年(明治32年)の「雲井町の大火」で類焼している。
その後、1907(明治40年)6月、十二間四面の本堂を再建し、神奈川県下(神奈川四ヶ組:横浜組、川崎組、三浦組、湘南組)を崇敬区域として、支院から昇格し、新たに本願寺横浜別院としてスタートを切ることになった。しかし、この建物自体も1923年(大正12年)の関東大震災にて全焼してしまう。震災まもない翌1924年(大正13年)10月には、仮本堂・庫裏を再建し、隣地に国際文化会館を建設して貸ホールとし、地下に託児所を設けた。
この託児所は、1927年(昭和2年)4月、別院付属大谷幼稚園と改めて教育事業を開始し、地域の住民に貢献することとなる。また1935年(昭和10年)2月には、幼児教育の重要性を訴え、別院境内に「横浜聖徳保母養成所」を創設した。現在の聖ヶ丘教育福祉専門学校(横浜市保土ヶ谷区)である。 震災によって全焼倒壊した建物であるが、1936年(昭和11年)には再建に向けての気運が高まり、再建五ヶ年継続事業が立ち上がり、1940年(昭和15年)にようやく竣工することになるが、1945年(昭和20年)の横浜大空襲によって、完成したばかりの別院堂宇その他一切が灰燼に帰してしまう。戦後の経済事情の関係で、当別院はそれから25年間、本堂再建を果たすことなく仮本堂のままでご崇敬を続けることとなった。

1922年別院



1942年別院

3. 【戦後からの復興】

1971年(昭和46年)、横浜市都市中心部の開発計画がたてられ、その協力要請を受けて、当別院は現在地(横浜市港南区日野)に移転することになり、同時に別院再建委員会が立ち上げられて、復興事業が開始されることとなった。別院が経営する大谷幼稚園も復興されることとなり、別院よりひと足先に大谷幼稚園の工事が1971年12月より着工し、1972年9月に再建された。
別院本堂・庫裏の起工式は、1973年12月のことである。1974年11月、第二次世界大戦後30年の長きにわたる別院門徒、崇敬区域寺院の念願が叶い、本堂・庫裏が完成した。境内地は4000坪、本堂は90坪の鉄筋コンクリート建、庫裏は延べ面積75坪の木造二階建。1975年(昭和50年)5月、本山より第二十四代闡如上人をお迎えして、本堂落慶法要が厳修された。その後、高度経済成長、バブル崩壊など社会の目まぐるしい変化と共に、地域に根ざした教化活動を展開した。

1975年別院


現在の別院

4. 【平成の始まりから御遠忌を迎えて】

昭和が終わり、平成の始まりから十数年後の2001年(平成13年)5月、本山より第二十五代淨如上人をお迎えし、「蓮如上人五百回御遠忌法要」を厳修した。また、2007年10月、「本願寺横浜別院創立百周年記念法要」を厳修し、2010年10月、「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌お待ち受け神奈川大会(神奈川四ヶ組共催)」をパシフィコ横浜で開催した。 2012年4月、宗教法人本願寺横浜別院付属大谷幼稚園を学校法人化、学校法人横浜大谷学園大谷幼稚園として装いも新たにスタートした。また同年6月には「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要」の厳修を別院門徒、崇敬区域内寺院(神奈川四ヶ組寺院)の総意として発願し、その記念事業として、本堂修復並びに神奈川教化センターの建設を行うこととし、2014年3月に起工式を挙行。同年12月には上棟式を行い、2015年3月、神奈川教化センターの竣工を迎える。 2015年(平成27年)4月25日、26日、御門首のもと、「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要」を厳修し、両日で参詣者は600人にものぼった。 2016年(平成28年)4月、地域の中心道場として、また首都圏の教化の一翼を担う使命を果たすべく、神奈川教化センターが開所された。「別院に願われていることをかたちにする歩み」をコンセプトとして、別院本来の存在意義を確立し、混迷する時代社会に、宗祖親鸞聖人の御教えを相続していく活動が願われている。

宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌


神奈川教化センター開所式

1872年(明治5年)

横浜市中区太田町六丁目(現在地の名称)に浅草別院横浜出張所として建立

1883年(明治16年)

花咲町一丁目に移転

1885年(明治18年)

長者町五丁目に堂宇を建立し、出張所から浅草別院の支院に昇格

1899年(明治32年)

雲井町の大火で類焼

1907年(明治40年)

十二間四面の本堂を再建し、神奈川県下を崇敬区域として、中区長者町に本願寺横浜別院を創立(初代輪番伊藤大忍)

1923年(大正20年)

関東大震災で全焼

1940年(昭和15年)

関東大震災被災後、五ヵ年計画にて再建

1945年(昭和20年)

横浜大空襲により、完成したばかりの別院堂宇その他一切を焼失。その後二十五年間仮堂のままご崇敬を続ける

1971年(昭和46年)

横浜市より、都市総合開発計画の協力要請を受け、別院の興隆と発展を期し移転を決意。本山宗議会の議決を経て、復興事業開始

1974年(昭和49年)

別院門徒並びに崇敬区域(神奈川四ヶ組)寺院の協力により、鉄筋コンクリート建の本堂(九十坪)、並びに庫裏が完成

1975年(昭和50年)

御親修のもと、本堂落慶法要を厳修

2001年(平成13年)

御親修のもと、蓮如上人五百回御遠忌法要を厳修

2007年(平成19年)

本願寺横浜別院創立百周年記念法要を厳修

2010年(平成22年)

宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌お待ち受け神奈川大会を開催(パシフィコ横浜)

2015年(平成27年)

本堂修復および神奈川教化センター竣工。御親修のもと、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要を厳修

2016年(平成28年)

神奈川教化センター開所。

以上、三度に亘る焼失等の苦難を乗り越え、現在に至る。

お車でお越しの方

横浜横須賀道路日野ICより 上大岡方面 約5分

公共交通機関でお越しの方

【バス】京浜急行上大岡バス ターミナルCDEのりばより吉原下車徒歩3分

【地下鉄】港南中央駅出口@より鎌倉方面へ徒歩10分

【タクシー】京浜急行上大岡駅より 鎌倉方面 約5分